WEBVTT 00:00:04.490 --> 00:00:06.670 私たちはみな それぞれ違うんです 00:00:06.670 --> 00:00:08.290 同じになんてなれません 00:00:08.290 --> 00:00:10.069 みな不完全なんです 00:00:10.069 --> 00:00:13.620 テクノロジーを使うことで 00:00:13.620 --> 00:00:18.140 理想郷を作るというのは 少なくとも面白そうだね 00:00:18.140 --> 00:00:21.060 いつも聞かれるのが 00:00:21.060 --> 00:00:23.340 オリンピックと パラリンピックです 00:00:23.340 --> 00:00:27.800 10‐20年後には パラリンピック選手の方が 00:00:27.800 --> 00:00:30.369 健常者の選手よりも 速くなれると思うね 00:00:30.369 --> 00:00:33.580 どうして 生まれ持った能力を変えたいの? 00:00:35.720 --> 00:00:45.780 [音楽] 00:00:55.760 --> 00:00:57.440 シェリル・バーグストーラーです 00:00:57.449 --> 00:01:02.349 ワシントン大学でアクセシブル テクノロジーサービスの指導をしています 00:01:02.349 --> 00:01:05.070 科学とテクノロジーは ある種の障がいを 00:01:05.070 --> 00:01:08.900 取り除ける程に 進歩しています 00:01:08.900 --> 00:01:12.130 しかし出来るからといって 取り除くべきなのでしょうか? 00:01:12.130 --> 00:01:14.660 障がいを持った学生たちに 00:01:14.660 --> 00:01:16.759 この質問に 答えてもらいました 00:01:17.900 --> 00:01:24.659 テクノロジーで 人の手助けをすること 00:01:24.659 --> 00:01:30.729 人類を進歩させることは いいアイデアだと思います 00:01:30.729 --> 00:01:35.850 しかし同時に ジレンマも生み出すのです 00:01:35.850 --> 00:01:39.270 どこまでが やり過ぎになるのか? 00:01:39.270 --> 00:01:43.489 テクノロジーは アクセス不可能なものを 00:01:43.489 --> 00:01:47.990 アクセシブルにしてくれる と言えると思います 00:01:47.990 --> 00:01:53.049 そして障がい者にとって テクノロジーの進歩は 00:01:53.049 --> 00:01:56.630 間違いなく 有益だとも思います 00:01:56.630 --> 00:02:00.840 しかし明らかに 境界線はあると思うのです 00:02:00.840 --> 00:02:05.640 例えば改良した車椅子と 車椅子ユーザーが 00:02:05.640 --> 00:02:08.259 歩行出来るようになる パワードスーツ 00:02:08.259 --> 00:02:12.670 この二つの異なる点は 00:02:12.670 --> 00:02:16.660 一方は障がい者の生活を より良くしたり 00:02:16.660 --> 00:02:19.000 アクセス しやすいようにするもの 00:02:19.000 --> 00:02:22.810 もう一方は障がい自体を 取り除こうとしていること 00:02:22.810 --> 00:02:27.730 そして障がいの経験がない 健常者が見逃してしまうのが 00:02:27.730 --> 00:02:31.510 この違いの部分だと 思うのです 00:02:31.510 --> 00:02:34.880 どんなものでも 欠点はあると思います 00:02:34.880 --> 00:02:38.170 しかしそれがタスクを コンプリートする手助けをし 00:02:38.170 --> 00:02:41.640 尚且つそれを自分の意志で 選んだり理解出来るなら 00:02:41.640 --> 00:02:43.450 素晴らしいことだと思います 00:02:44.100 --> 00:02:47.040 もし本人が より良くなりたい 00:02:47.050 --> 00:02:49.900 エクストラな能力が 欲しいと望むなら 00:02:49.900 --> 00:02:51.600 オプションとして いいことだと思います 00:02:51.600 --> 00:02:53.450 しかし 強要されるべきではありません 00:02:53.450 --> 00:02:56.740 例えば私はそのままの 自分でとても幸せです 00:02:56.740 --> 00:02:59.920 どこも変えたいとは 思いません 00:02:59.920 --> 00:03:03.120 もし明日歩けるオプションを 与えられてもいりません 00:03:03.120 --> 00:03:04.984 自分の人生が 大好きなんです 00:03:04.984 --> 00:03:07.700 障がいのある人が 00:03:07.700 --> 00:03:12.440 健常者と同等の アクセスを出来るような 00:03:12.440 --> 00:03:15.130 社会を作るというなら 00:03:15.130 --> 00:03:18.790 テクノロジーを使って 完全な人間を作ろうとするより 00:03:18.790 --> 00:03:22.210 手元に今ある 問題を解決することに 00:03:22.210 --> 00:03:24.440 フォーカスすべきだと 思います 00:03:25.540 --> 00:03:28.760 もし そのテクロジーというのが 00:03:28.760 --> 00:03:33.090 生命を脅かすような 障がいがある私の友人たちの 00:03:33.090 --> 00:03:34.990 身体を強くしたり 寿命を延ばしてくれるような 00:03:34.990 --> 00:03:37.120 新しい研究や 新しい薬の開発に 00:03:37.120 --> 00:03:40.290 つながるのであれば 00:03:40.290 --> 00:03:43.310 素晴らしいことだと 思います 00:03:43.310 --> 00:03:46.570 しかし 本人が望まないのに 00:03:46.570 --> 00:03:49.790 無理やりに "ふつう" にしようとするのは 00:03:49.790 --> 00:03:51.980 違うのではと思います 00:03:53.180 --> 00:03:56.578 どうして全ての人やことを "なおす" 必要があるのか? 00:03:56.578 --> 00:04:00.800 本人次第だと思うんです 00:04:00.800 --> 00:04:03.630 もし本人が 自分の人生から 00:04:03.630 --> 00:04:07.040 障がいを減らしたいというなら オプションがあるというのは 00:04:07.040 --> 00:04:09.820 いいことだと思います 00:04:09.820 --> 00:04:11.810 しかしオプションが そこにあるからといって 00:04:11.810 --> 00:04:13.290 誰も 強要されるべきではないし 00:04:13.290 --> 00:04:15.930 そのような 社会的プレッシャーも 00:04:15.930 --> 00:04:18.840 存在すべきでは ないと思うんです 00:04:20.920 --> 00:04:22.700 誰も完全にはなれません 00:04:22.710 --> 00:04:26.800 例えば 障がいがあるかないか 00:04:26.800 --> 00:04:30.669 そういった個々の 違いというものが 00:04:30.669 --> 00:04:34.759 私たちそれぞれを 特別な存在にしてくれるんです 00:04:34.760 --> 00:04:39.480 ですからそのことに 誇りを持つべきだと思うんです 00:04:41.200 --> 00:04:45.020 もし私が 新しい研究や 00:04:45.030 --> 00:04:48.720 次世代のテクノロジーを 開発中の科学者と話をするなら 00:04:48.720 --> 00:04:51.420 最初の質問はこれですね 00:04:51.420 --> 00:04:55.000 "あなたの開発チームに 障がい者はいますか?" 00:04:55.000 --> 00:04:58.439 なぜなら物事を アクセシブルにするベストな方法は 00:04:58.440 --> 00:05:02.610 障がい者を開発に 関わらせることだと思うからです 00:05:03.220 --> 00:05:06.360 より快適な生活が テクノロジーのゴールなので 00:05:06.370 --> 00:05:12.999 足をなくした人に 再び歩くチャンスを与えることが 00:05:12.999 --> 00:05:16.919 どうして 悪いことなのでしょう 00:05:16.919 --> 00:05:21.659 200年くらい先の未来に ロボティクスが発展して 00:05:21.659 --> 00:05:25.240 世界を 乗っ取ることになったら 00:05:25.240 --> 00:05:27.860 また話は変わるんでしょうが 00:05:30.900 --> 00:05:32.620 人々の能力を 00:05:32.620 --> 00:05:35.480 更に引き出すテクノロジーが 存在するということと 00:05:35.480 --> 00:05:37.930 そのテクロジーが "なおして" くれるから 00:05:37.930 --> 00:05:41.900 あるいは "ふつう" に より近くなるから 00:05:41.900 --> 00:05:44.840 本人がそれを 望むかどうかというのは 00:05:44.840 --> 00:05:47.360 微妙に違うということを 理解せねばなりません 00:05:47.360 --> 00:05:49.119 "あなたが このテクロジーを必要とするのは" 00:05:49.119 --> 00:05:51.220 "健常者のように なれるからではなく" 00:05:51.220 --> 00:05:53.569 "ヘルプが必要な際に" 00:05:53.569 --> 00:05:56.969 "アシストを してくれるからですか?" 00:05:56.969 --> 00:05:59.930 と聞くべきだと思うんです 00:05:59.930 --> 00:06:04.440 身体本来のあるべき能力 という名のもとに 00:06:04.440 --> 00:06:08.039 全ての人をその一つの型に 収めようとするのではなく 00:06:09.200 --> 00:06:11.819 クライミングするための 00:06:11.819 --> 00:06:15.650 手の代わりになる ツールなどは 00:06:15.650 --> 00:06:18.140 素晴らしいと思います 00:06:18.260 --> 00:06:21.820 しかし最も大事なのは 本人がそれを望んでいるかどうか 00:06:21.829 --> 00:06:26.620 障がいと 共に生きることは問題ありません 00:06:26.620 --> 00:06:29.859 問題なのは 障がい者を念頭に置かず 00:06:29.859 --> 00:06:33.689 システムが 作られているということ 00:06:33.689 --> 00:06:35.870 ですから "なおす" のが必要なのは 00:06:35.870 --> 00:06:38.129 障がい者ではなく 社会の方なのです 00:06:38.129 --> 00:06:43.539 健常者が アクセス出来る全てのことを 00:06:43.540 --> 00:06:49.529 障がい者も アクセス出来るように 00:06:51.200 --> 00:06:55.979 どうして 自分でありたくないのか? 00:06:55.979 --> 00:07:00.870 アイデンティティを 失くすのと同じでしょう? 00:07:00.870 --> 00:07:04.939 様々な要素によって 自分というものが作られる 00:07:04.939 --> 00:07:08.279 だから全体として 素晴らしい人物ならば 00:07:08.279 --> 00:07:12.700 ちょっとの欠陥くらい なんだというのでしょう? 00:07:13.370 --> 00:07:16.930 人間から 障がいを除くことは出来ません 00:07:16.930 --> 00:07:19.270 誰だって年を取れば 00:07:19.270 --> 00:07:22.479 何らかの障がいが出てくる 00:07:22.479 --> 00:07:26.060 そういう風に 身体が作られているんです 00:07:26.060 --> 00:07:28.200 ですから障がいを持つことは 極めて普通のこと 00:07:28.260 --> 00:07:30.720 ただそれが 遅いか早いかの違いなのです